山戸能


山戸能は山五十川の鎮守「河内神社」の例大祭に行われる神事能です。始まりについては、地域に残る文献によると貞観8年(866年)頃に伝えられたという説と、寛永年間(1624年~1644年)に伝えられたという説などがあり、詳しいところは定かではありません。

→由来について詳しく

 

 

 

演目


 

◆座揃囃子  詳しく

 

◆恋慕の舞 詳しく

 

◆式三番  詳しく

 

◆番能

かつて、明治34年頃までは、120番ほどの曲目をもっていましたが、今は「羽衣」「高砂」「猩々」「賀茂」「竹生島」「舟弁慶」「兼平」「春日龍神」「羅生門」の9番だけで、毎年1曲づつ演じます。ただし、台本120番は今なお大切に保存されています

 

 羅生門 詳しく

 賀茂  詳しく

 竹生島 詳しく

 羽衣 詳しく

 兼平  詳しく

 春日龍神 詳しく

 猩々   詳しく

 舟弁慶 詳しく

 高砂  詳しく

番能 猩々
番能 猩々

『山戸能』の名づけ と 山形県指定無形民俗文化財の指定

 わが国民俗芸能界の権威者小寺融吉先生が、昭和5年9月15日、わが集落を訪れ、お能を見て「民俗芸術」四ノ二号に「羽前山戸能」と題し執筆せられたのを始め、昭和32年9月「芸能復興」十六号に丹野正先生が「山戸能私見」“秘曲の発見”と題し投稿せられ、何れも東京早田演劇博物館に蔵書されておる。昭和31年9月山形市で開かれた県教育委員会主催の第3回無形文化財公演会に「山五十川能」が出演のおり、県文化財専門委員丹野正先生が「山戸能」と名づけたのである。ことさらに「山戸能」とよぶのは山五十川集落が昭和29年12月温海町合併前まで山戸村であったからの因縁である。

 

 昭和39年に山形県指定無形民俗文化財の指定を受けました。