山五十川の特色


 山五十川の春、秋ののお祭りではお能と歌舞伎が奉納上演されます。「山戸能」と「山五十川歌舞伎」と称するこの地に伝わる古典芸能であるが、ひとつの集落でお能と歌舞伎のふたつの古典芸能を伝承する例は全国的にも珍しいと言われています。

 この、古典芸能の伝承についてはこれまで数々の賞を受賞しています。詳しく

 

 また、集落でもご神木としている樹齢1,500年あまりといわれる「玉杉」という大杉があり、国の天然記念物として指定されています。

山五十川の沿革


 

 山五十川字木の下地内か縄文後期の石鏃や土器片が出土していることから、太古より人々の定住が認められる。集落発祥は明らかではなく、奈良時代(西暦700年代)以前に遡ると考えられるが、本格的に集落を形成したのは大同年間、今の河内・熊野両神社が創建されたころと見られ平成18年(2006年)開村1200年祭が執り行われる。

 

 初期の集落は五十川に沿って北部に実俣村(さねまたむら)・南部に蕨野村(わらびのむら)の二ヶ所を成し、寛永元年(1624年)には実俣村53戸、蕨野村22戸と記録されている。

 

 明治8年(1875年)、実俣・蕨野両村が合併して山五十川村と称した。(戸数:100戸、人口:673人)

 

 明治22年(1889年)、市町村制実施により温海村大字山五十川となる。

 

 明治25年(1892年)、交通不便等を理由に大字戸沢とともに温海村より分村し、山戸村(大字山五十川)となる。

 

 ~ 山五十川最盛期の人口:1,794名(昭和27年 1952年) ~

 

 昭和29年(1954年)、町村合併促進法を受けた4町村(山戸、温海、念珠関、福栄)の合併により温海町(大字山五十川)となる。

 

 平成17年(2005年)、6市町村(温海、鶴岡、藤島、羽黒、櫛引、朝日)の合併により鶴岡市山五十川となる。

 ~ この年の山五十川の戸数:179戸、人口:638人 ~

 

  さらに詳しく→歴史年表

 

 

山五十川公民館
山五十川公民館

山五十川自治公民館組織図 こちら

 

山五十川の集落内案内図 こちら